2011年2月14日月曜日

終戦後すぐにつくられていた日本の電気自動車


昨日投稿した「Peugeot VLV」は、1942年に製造されていた。それに遅れること5年、1947年に日本でつくられた電気自動車がこの「たま電気自動車」である。終戦を期に自動車メーカーへの転換をはかった立川飛行機(のちのプリンス自動車)が、東京の府中に工場を借りて電気自動車の開発をはじめた。ガソリンが非常に高価で、逆に電気はあまり気味だった時代だ。


1946年には試作車「EOT-46」2台が完成。これはオオタ トラックをベース車として、ボンネット下にエンジンの代りにモーターを入れるなどの改造をしただけのものだった。その後、独自設計ボディの試作車(EOT-47)など、研究試作を重ね、1947年5月に、乗用車(E4S-47)が完成。「たま」という名前は地名にちなんでつけられた。最高速度は35km、フル充電での走行距離は65kmだったという。6月には「東京電気自動車」に社名を変更し、その後も改良型を次々と発表、2年後の1949年に発表された「たまセニア」は無充電で200kmを走り抜けられたそうだ。1950年にもなるとガソリンの価格がさがってきて、電気自動車の人気は急落、東京電気自動車は、1951年にガソリン車の開発に転身した。


その「たま」が、日産社内にある「日産名車再生サークル」によって再生された。有志が日産自動車に伝わる歴代の名車を、当時の姿、部品のまま走れるようになることを目的に活動しているサークルらしい。これは再生のときに参考にされた当時の図面。


以下は試乗会での様子。スイッチが「断」と「接」というのが時代を感じるかっこよさだ。うぃーんという走行音も良い感じ。

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